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山岳部の様子
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20170321伝付峠〜仙丈ケ岳(感想文)

記:王鞍

3/21〜27の南アルプス縦走についてのちゃんとしたブログは1年の小林が書いてくれたのだが、自分個人として合宿を通じて感じたことを記録に残しておきたかったので追記とする。

そもそも今山行は比較的長期の雪山縦走として持続的な生活技術の体得と、文登研で学んだ意識的な部分の伝達を目的として計画した。それから部としてのまとまりを強めるといった漠然とした考えもあった。

しかし私自身文登研から合宿まで中三日しかなく事前準備が十分に出来なかったことや私と橋本が股関節に炎症を持っていたことなどがあり、多少の不安を抱えての入山となった(もちろん不安のない入山はないが)。

行動初日、各メンバーが一日ごとにリーダーになり状況判断と統率を行い気になる点をその都度私が指摘あるいは議論するという形(文登研で行った形式)をとり、この日は小味山がリーダーだった。
一年生は全体的にルートファインディングが著しく出来ないので主にそこに重点を置いて指摘しようと考えていたが、あろうことか私が伝付峠への尾根取り付きを間違えて愕然とし色々やりづらくなってしまった。気持ちを切り替えてその後うるさく指摘したが当然説得力に欠けていた。

2日目は樹林帯をのんびり進む予定だったがいやらしい積雪で五歩に一歩は穴に嵌るような状態だった。加えて広いピークで少し道に迷い時間を食うが、現在地の確証が得られない状態から予測を立てて情報を集め確実にルートに戻る勉強になった。
その後も樹林帯はずっと落とし穴状態が続き、時間を取り返せると踏んでいたハイマツ帯ではところどころで岩が露出し難しいアイゼンワークを強いられることとなる。こうしたコンディションは予想外で(十分に予想できることではあったはずだ)結局全行程で1日平均10時間以上のハードな行動になってしまった。この時期の白峰南嶺や仙塩尾根の記録はほとんどなく、雪山二シーズン目の持ちうる想定能力の低さを思い知ったが前向きに考えれば良い経験となったのだろう。

3、4日目は農鳥〜三峰岳の岩稜でいくつか際どい(ミックス要素のある)クライムダウンと雪壁があり嫌な緊張感の中で時間が過ぎていった。自分が通過できるか否かの判断は比較的簡単だが、メンバーの力量は不確定要素が多く不安は拭えない。ただ天候が安定していたことは幸運だった。吹雪だったら潔く沈殿すべきだが時間のない中で果たしてその判断が出来たかどうか自信はない。

5日目は大仙丈ヶ岳直下の雪壁が核心でそこそこの風雪で軽くホワイトアウトしていた。しかしそこでの雪崩の危険性は低く思えたしアイゼン・ピッケルもしっかりと効いていたので特に不安はなかった。ただ想像以上に疲弊し(個人的な体調不良のようなものだったように思える)、状況をしっかり把握しながらの行動としてはギリギリのものだったが、そこはうっちー(内田)がいたのでそこまで心配はなかった。

その夜の快適な避難小屋泊まりと、明日は下山ということもあり気が緩んだのかもしれない。最終日が全行程での核心になるとは考えていなかった。

最終日、昨日のトレースが綺麗に消えていたので軽くハンドテストで30cmほどの弱層を確認。出発時には昨夕よりは視界が効いていたので間隔を空けて藪沢カールをトラバースして尾根に乗ったところで降り始める。この頃にはかなりホワイトアウトし始めていた。辺りに樹木は無く10mほど先の斜度はほとんど把握できなかったが、雪庇を警戒して局所的な最高地点から少し西側を外さぬように降っていく。途中でやけに斜度が急なことに気づき東側が見渡せるような地点で目を凝らして待っていると一瞬視界が開け、そちらに一筋尾根が見えた。下降する尾根を間違えたのだ。もう一度登り返してから正しい尾根に戻るにはこの視界では困難に思えた。それよりは一瞬見えた尾根の位置に向かう方が正規ルートに戻りやすいと考えトラバースを選択した。しかし結局のところ一番楽な手を取ったというのが本当だろう。沢状に近い地形でのトラバースの危険を感じていながらも登り返す気にはなれなかったのだ。
私を先頭にして露出したハイマツ中間点とし2つピッチを刻み1人ずつトラバースした(ロープは出していない)。
2ピッチ目に私がトラバースしている時に足元からスッパリと破断し雪崩が起き、斜面下方の白い霧の中に消えていった。その先は破断面の下を通過してなんとか全員主稜線に乗ることができた。
私としてはトラバース時に一歩足を出すごとに足元に亀裂が入ったので30cm下のクラスト面にしっかりとアイゼンとピッケルを打ち込む事を意識してクライムダウンの姿勢で進み、意図的に亀裂を蹴って雪崩を起こした。それは不安定な積雪の上を歩くよりは破断面の下を進んだ方が安全(伝播しにくい気がした)ではないかという曖昧な考えによるもので、その瞬間の判断が正しかったのかは分からない。いずれにしても引き返すよりは進んだ方が良いようだった。
とにかく他のメンバーには出来るだけ素早くトラバースを終えるように叫んだのだが、いかんせん小味山が遅くイライラが募る。その後そのことについて意見を求めると、慣れていなかったのだという。確かにクラスト面のアイゼンワークはそれなりに難しく、斜面はだいぶ下まで切れていたので急いで抜けるには滑落の恐れもあった。そこで初めて私はここでのトラバースという判断が1年生よりも自分寄りの基準で行われていたことに気づいたのだ。
振り返ってみると、かなり上部から雪崩れた場合埋没以前に滑落を免れなかっただろうし、そのハザードもリスクも十分に高かった。やはり登り返すべきだった気もするし、そもそもホワイトアウトし始めた時点、いや弱層を確認した時点でカールを尾根の分岐点まで直登し右に急斜面を見ながら下降すべきだったのだろう。とにかくできる限り早い地点で的確な判断を下さないとどんどん状況が悪化していくことがあると学んだ。
また、同じ日に那須で大規模の雪崩事故があったことを帰ってから知り、あの時私には危険に対する意識も恐怖心も足りていなかったと感じた。


ともあれ結果的には全員怪我もなく(2人の炎症も大きな妨げとはならなかった)無事に下山できたわけだが、他にもいくつか問題はあった。

第一に装備面。何人かのワカンの紐が切れそうなことに行きの電車内で気づき応急措置し、私の下のレインウェアが寿命を迎え、小味山のゲイターが破損した。どれも出発前に入念にチェックしていれば防げたことである。ゲイターに関してはチャックが壊れたのだが、これはゲイター上部の絞り紐が欠如していたためゲイター内に雪がたまった(それはもはやゲイターではない)のが原因であり、もっとまともなゲイターを持ってくる、あるいは修理してくることが出来たはずだ。
一応出発する何日か前に携帯する装備を全員で確認するのだが、全ての個人装備を十分に確認する時間を共有することは不可能だし、今回は特に時間が無かった。
やはり普段から部と自分の装備を小まめにチェックする必要があるし、入山前は各自で装備の点検を行うことが大切だと実感した。

第二に一年生の能力について、私自身あまり偉そうに言えるレベルでもないのだが、状況判断をするにあたってまず橋本には体力、小味山には観察力、小林には決断力が特に足りないと感じた。また全員共通で読図の知識はちゃんとあるのだが、周りを十分に観察できておらず現在地を把握できていることがほとんどない。合宿中、コンパスと周りの地形をよく観ながら歩けと散々言ったので後半ではいくらか改善されていたが継続的にその意識を持って欲しい。それからワカンやアイゼンの着脱が遅い。特に小味山は著しく遅い。そのため意識してアイゼン・ワカンの切り替えを小まめに行ったが小味山は結局遅いままだったので何か工夫するか練習してコツを身につけてほしい。素早く着脱できないことが危険を生むことがあるし、何より待ってる方としては実にイライラする。

第三に議論がなかった。私が何か言っても一年生からはほとんど意見がなく、返事も聞こえない。これはとてもやりずらかった。何を考えているのかはもちろん、私が言ったことが理解できたのか、そもそも聞こえているのかが分からない。そうした声を引き出すのもリーダーの役割ではあるが、こちらの考えは明確に伝えたつもりだしやはりフォロワーシップは低かったように思える。パーティとして意見の交換や共有がないとメンバーの状態が把握できず適切な判断はできないだろう。だいたい面白くないし、一緒に山に入っている意味がない。私としてはずいぶん煩く言ったので場合によっては喧嘩が起きても面白いと期待していたが気配もなかった。といっても我々の誰も喧嘩するような人間ではないのだが…。

個人的には全体の計画が粗末だったことを大いに反省しなければいけない。そもそも今回はより長期の山行を意識して、毎朝フレッシュな状態で起床できるような強度の行動とストレスレスなテント生活を考えていたのだが全く想定から外れてしまった。その代わり様々な状況に対面したため文登研で学んだことを一通り伝えることができたし濃くて幅広い経験ができた。また毎日カツカツだったせいで終わってみれば合宿全体が短かったようにも感じる。そして少しでも模範的なリーダー像を示すことが出来たか言われるとあまり自信がない。
正直なところ今シーズンの冬山がこれでひと段落ついたのでホッとしている。今年に入ってから絶え間無く計画と山行と道具の手入れ等に追われていたのでとりあえず少し休憩。
一年生、名指しで批判してごめんよ。
そしてやっぱり"私"の一人称は慣れない…。

by tmualpine | 2017-03-30 07:16 | 合宿
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